2025年07月

自家焙煎コーヒー

こんにちは。電気設計課の室伏です。

今日は趣味について少しご紹介したいと思います。
今一番の趣味はズバリ「コーヒー」です。
鮮度の良い豆を挽きたてで飲んだときの感動から、コーヒー豆屋さんで豆を買って、
ミルで挽いてドリップして飲むようになりました。

ただ、好みの豆がずっと手に入る保証はなく幾度となく豆を替え、
店を替えたりしてきましたが、リピート購入候補にはそうそう出会えません。

そこで焙煎に興味を持ち始め、調べて見つけたのがこの焙煎機です。
 
 
 
 
1回に焙煎できる量は最大70gと小さめですが、時間を設定するだけで好みの焙煎度で焙煎できます。
ドライヤーくらいの音がするため、屋外で焙煎してます。

生豆は少し緑がかった色をしています。
 
 
 
 
コーヒーの焙煎度は「ハゼ」と呼ばれるパチパチという音のタイミングを目安に焙煎時間を決めます。
焙煎中チャフと呼ばれる薄皮が出ますが、ある程度分離されています。
 
 
 
 
焙煎したては味が安定しないため、1日以上たってから飲みます。
この時期はやっぱりアイスコーヒーですね。多めの氷に直接落とせば簡単です。
 
 
 
 
 
 
自家焙煎を始めて、豆の選択肢も増え、コストも抑えられて、とても満足しています。
ただこの焙煎機、少量の豆を焙煎度を替えて焙煎するなど、サンプル用としては良いのですが、
毎日飲んでいると1週間に200g程度は消費するため、毎週4回以上焙煎機を回しています。
そうなるともっと容量の大きな焙煎機が欲しくなって、さらなるコーヒー沼にはまってしまったようです。
 
まだまだコーヒーの沼は広く深いようですが、楽しみながらもう少しはまっていきたいと思います。

Onシューズ

こんにちは!製造課の海野です。

今回は、僕のイチオシのシューズをご紹介したいと思います。
今回紹介するのは、スイスのメーカー「On(オン)」が手がけるシューズ。
 
アイコニックな、たくさんの穴が開いたソールが特徴です。
「クラウドテック」と呼ばれる独自のクッションシステムが着地時の衝撃をしっかり吸収してくれるので、
その名の通り“雲の上を走っているような”履き心地が魅力です。
 
 
 
↑Cloud
 
このシューズ、初めて出会ったのは学生時代のスポーツ用品店アルバイトの時。
店頭に並んだOnシューズを見たときに、一目ぼれして思いきって購入しました。
デザインも履き心地も最高で、それからずっとお気に入りの一足に。
そして最近、ついに2足目を購入しました!
 
 
 
↑Cloudmonster 2
 
本当はオレンジ色が欲しかったのですが…人気過ぎて在庫がなく…。
ですが、ホワイトもクールな印象でかっこいいので気に入っています。
 
僕がこのシューズを気に入っている理由は、「軽さ」や「デザイン」などいっぱいありますが、
中でも1番は**「柔軟性」**です。
 
靴には「フレックスポイント」と呼ばれる、曲がるべき位置があります。
このポイントと、足の曲がる位置(足指の付け根)が合っていないと、足が痛くなったり、疲れやすくなったりします。
その点、Onシューズはソールにたくさんの穴が開いているおかげでとても柔らかく曲がり、さまざまな足の形にフィットしやすいんです。
 
運動時はもちろん、普段履きにもぴったり。
さまざまな場面で活躍してくれる、おすすめの一足です!
唯一の欠点といえば、特徴的なソールの隙間に小石がめちゃめちゃ挟まることですね…。
 
気になった方はぜひ、スポーツ用品店もしくはオンラインショップをチェックしてみてください!
それでは、また!

親子で参加!地域のふれあい「梶原山 歩け歩け運動」

皆さん、こんにちは!営業部の松井です。

今日は、先日参加した地域の自治会行事「梶原山 歩け歩け運動」についてお話ししたいと思います。
このイベントは、地域の健康促進や交流を目的に毎年開催されているもので、私自身は今回が初めての参加でした。
せっかくの機会ということで、長男を連れて、親子で参加してきました。

梶原山は、静岡市葵区に位置する標高約300メートルの小高い山で、地元ではハイキングや散策の定番スポットとして親しまれています。
春には桜、秋には紅葉が楽しめるなど、四季折々の自然を感じられる場所です。
当日は朝8時半に自治会館に集合。天気にも恵まれ、さわやかな朝の空気の中、多くの参加者が集まりました。
驚いたのは、その人数!なんと約90名もの方が参加しており、小さなお子さんからご年配の方まで、まさに“老若男女”がそろった光景に、
地域のつながりやこのイベントの人気ぶりを実感しました。

ハイキングコースは、片道およそ4kmとのこと。
日頃からあまり運動不足気味な私としては、「ちょうどいい運動になるかな」と軽い気持ちでスタートしたのですが、これが予想以上にハード!
途中には急な上り坂もあり、なかなかのアップダウンに息が上がりました(笑)。

それでも、息子と並んで歩きながら、道中の自然に触れたり、
すれ違う方々と「こんにちは」とあいさつを交わしたりする時間はとても心地よく、普段の忙しさを忘れて心がほぐれていくようでした。

山頂に到着したときには、疲れもピークに近づいていたのですが、そこで目にした景色に思わず感動。
静岡市街を一望できる絶景が広がり、遠くには駿河湾まで見渡せるほどの開放感。澄んだ空気と美しい景観に、まさに“疲れが吹き飛ぶ”瞬間でした。
 
 
 
 
帰り道は、長男と「また来年も来ようね」と話しながらのんびり下山。
自然の中で体を動かすことの大切さや、地域とのつながりの温かさを改めて感じることができました。
 
 
 
 
来年もこのイベントが開催される予定とのことなので、またぜひ家族で参加したいと思います!

灼熱の浜松ラウンド

こんにちは電気設計課の高良です。
 
先日浜松へゴルフをしに行きましたが、この日の浜松は、まさに“ゴルフ場がサウナ”状態。
ニュースでも報じられたように、浜松市天竜区では37度越えを記録し、全国でもトップクラスの暑さでした。
風も全く無く、プレイヤー全員が汗だく。
 
今回のラウンドで、何より印象的だったのはドライバーの飛距離。
打った瞬間「キタ!」と確信できるほどの手応え。
しかし、ドッグレッグホールでは、その“飛びすぎ”が仇になる場面も。
特にドッグレッグでは、方向がわずかにズレただけでフェアウェイを突き抜けてOBへ。
「ナイスショットなのに罰打?」というゴルフの理不尽さに、仲間も思わず笑うしかない展開でした。
それでもあの瞬間、クラブがボールをとらえて空へ放たれる感覚——やめられませんね。
 
 
 ↑
浜松CC 9H Par5 愛称;夏みかん
 
本日のハイライトは、間違いなく9HOLE PAR5・484ヤードのロングホールでの1打目。
セカンド地点で残り195ヤードと表示されていた時、脳内で即計算。
今日は攻めのゴルフ!!(いつもかもしれませんが…)
2打目は、迷いなくグリーンを狙いに。
見事に2オン成功し、なんとイーグルトライのチャンス!
惜しくもパットはカップをかすめたけれど、きっちりバーディを決めてこのホールを締めくくりました。
 
 
↑ 
相棒のPING G410 PLUS

実は今回使ったPING G410 PLUSは“2本目”。
1本目は飛距離が伸びるほど使い込んだ結果、フェースに微細な亀裂が入り、泣く泣く買い替え…。
でも、それだけこのクラブが自分のスイングにマッチしていた証。
今の2本目は、さらに信頼を深めてくれる頼れる相棒です。
 
笑って、悔しんで、また笑って——先輩方との浜松ゴルフは、思い出と学びがぎっしり詰まった最高の一日でした。
飛距離も出たし、課題も見えたし、そして何より、人とのつながりを再確認できたひととき。

🌡️これからの季節、暑さも本格化しますが、熱中症には十分注意しながら
水分・ミネラル・休憩をしっかり取って、楽しいゴルフライフを続けていきましょう!

次はどんなコースで、どんな一打が待っているのか——その日を楽しみにしています。

薩摩スチューデント

製造課の大井です。
今回は幕末の歴史ものです。

ここで読むのを止めたあなた、戻ってきてください。
鹿児島中央駅のロータリーにこんな銅像達が居ます。
 
 
 
 
バスに乗る際、気になっていたので調べてみました。
「若き薩摩の群像」という銅像で、鎖国時代にイギリスへ留学し後に日本の近代化に貢献した19人の若者たちです。
 
イギリスに渡ったそもそもの「きっかけ」が興味深いです。
1862年、横浜の近くの生麦村で薩摩のお殿様の大名行列に敬意を払わないとして、
イギリス人が犠牲になった「生麦事件」がそれになります。
 
賠償に応じない薩摩藩にイギリスは軍艦7隻を鹿児島湾に送り圧力をかけ、「薩英戦争」となってしまいます。
 
薩摩にとって当時世界最強の海軍力をもったイギリスとの戦争は、技術力の差を思い知るかたちとなりますが、
イギリス側も想像以上に薩摩の強い戦意を脅威ととらえたり、天候の悪化、補給が得られない、艦長二人の死亡、
多数の負傷者をだしたことなどで撤退します。

薩摩の城下は大火となり蒸気船三隻を失うなど甚大な被害を受けますが、
人的損害はイギリスのほうが多く、世界最強軍との戦いに薩摩は善戦したともいえます。
 
そして、進まぬ賠償交渉の中で、賠償金が欲しいイギリスと近代技術や海軍力を得たい薩摩はイギリスに思わぬ提案をします。
「軍艦を購入したい」です!なんと、賠償交渉からビジネス交渉に切り替えてしまいます!
イギリスも日本との貿易を拡大したいので妥協点が見つかり、賠償金は幕府から立て替えという形で支払います。
(後に、薩摩はその立て替え金を踏み倒している)
薩摩は、幕府立ち合いの中でイギリスから最新の武器艦船購入のお墨付きを得られた形となりました!(後の倒幕につながる)
ここから、双方「対立からフレンドシップ」へと風向きが変わるのです。
 
この薩英戦争で捕虜となった五代友厚は富国強兵の為イギリスに留学生を派遣する旨の上申書を薩摩藩に提出します。
軍事力の差をただ埋めたいだけではなく、その背景の 科学・産業・貿易・商業・思想を吸収したいと考えました。
当時の日本は鎖国状態で開国派と攘夷派で二分する時代ですが、
元々先代のお殿様の影響で西洋の文化や技術を積極的に取り入れ学ぶ環境がありました。

そのなかから、13歳~33歳の19人が選抜され藩命が下されます。
その19人には身分の差はなく、通訳や各分野の技術者、そしてあえて攘夷派からも選出します。
鎖国の時代ですから出国は許させていません。藩から変名を与えられ、偽装として島への出張辞令書も貰いました。
19人は五代友厚と親交のあったグラバーの船に便乗しこっそり出国(密航)したのです。
(乗船直後 刀を取り上げられてしまう)
 
ここから、命がけであり藩の存続をかけた壮大な冒険が始まります。
 
そのこっそり出国した地、いちき串木野市に「薩摩藩英国留学生記念館」という施設があり、そこへ行ってきました。
 
 
 
↑薩摩藩英国留学生記念館
 
 
 
↑密航船へここから小舟で旅立つ
 
 
 
↑薩摩スチューデント(ちょんまげは切っていますね)
 
イギリスへは、香港、シンガポール、インドなどイギリスの植民地を経由して二カ月かかったようです。
経由地では松ぼっくりの果物(パイナップル)、アイスクリームを初めて食べたり、製氷工場を視察し、
蒸気機関車に乗り、エジプトでピラミッドを見たり、2ヶ月かけてイギリスに到着します。相当なカルチャーショックを受けたことでしょう!
イギリスでは彼らが到着した直後に地下鉄が開通します。日本ではまだ人力の篭の時代、、、
 
留学生活では、最年少の長澤鼎(かなえ)は成績優秀者として現地の新聞に載ったりしています。
また、彼らは素晴らしい恩師に恵まれながら見聞を広げ、
現地では「薩摩スチューデント」と呼ばれ親しまれるのです。(日本では明治維新が始まるころ)
 
薩摩藩の財政が厳しくなると、数名に帰国命令がきますが、
さらにアメリカに渡り見識を広め明治維新の混乱の中薩摩の為から日本の為に力を尽くしていくことになるのです。
その後の「薩摩スチューデント」の功績を記します。
 
五代友厚
⇒明治新政府より役人として大阪へ赴き、大阪経済の立て直し、大阪商工会議所や証券取引所、
 大阪市立大学を開設し、後に実業家となり造船や鉱山開発に尽力し、日本の近代化の立役者となる。
 
寺島宗徳
⇒帰国後外交官となり後に外務大臣、文部大臣となる。
 
村橋久成
⇒サッポロビールの前進となる工場を北海道に作る。
 
堀 孝之
⇒五代友厚と共に大阪経済の発展に知力。
 
町田久成
⇒後の東京国立博物館館長。
 
畠山義成
⇒後の東京大学学長。
 
松村淳蔵
⇒海軍教育に尽力。
 
朝倉盛明
⇒兵庫幾野鉱山を復活させる。
 
森 有礼
⇒文部大臣になり日本の教育制度に力を注いだ。
 
吉田清成
⇒アメリカ特命全権大使として不平等条約改正に専念。
 
中村博愛
⇒外交官となり後に議員となる。
 
そして、最年少でイギリスに渡った 長澤 鼎は後にアメリカにも渡り、
カリフォルニアでワイン作りを成功させブドウ王となり、エジソンとも親交を深めるのです。
 
いかがでしたか?
当時、西欧列強にいつ飲み込まれてもおかしくない時代、こういう方々の「志」が列強を跳ね返していたのかもしれませんね。
 
生麦事件が無かったら、サッポロビールは存在しなかった?かも、